近藤俊朗神奈川県有床診療所協議会副会長の投稿
近藤産婦人科の歴史と「ゆうしん」
1.専門科目と有床診療所を開設した経緯と内容
大学病院の産婦人科医局に勤めたことから産婦人科医の道に進んだかも
知れない。32年10月に正式に19床で川崎市中原に開業した。最初は内科、
神経科、産婦人科まで設け、他の医師の応援を得ていた。
それまでに経験の少ない未熟な医師の、バラック建ての家に、地元の小中学
校時代の友人たちがお金のない専門外の患者ばかり連れてきたが、逃げる
わけにはいかず、自分なりに応急処置をするなど精一杯の応対をした。まさに
ボランティアそのものであった。産婦人科病院の住み込み書生をしていたこと
などから、ある程度の患者を確保出来た。
そして、43年に世界病院ツアーに参加したことがきっかけとなり、鉄筋3階建て
の有床診療所に建て替えた。その中に30坪ほどの多目的ホールを作り、美容
体操、社交ダンス、集団精神療法、母親学級などの開催が出来るようにした
ばかりか、講演会、音楽会を開くなどして地域住民に開放した。しかも建物内
には特別室3室、カウンセリング室、分娩室、手術室、予備室と十分なスペース
をとり、その上全館冷暖房付きにした。当時としては破格の作りだったと思う。
しかし残念ながら病室は半分も埋まらず、屋上に作った特別室のボイラーの
振動が激しく入院患者から苦情のでる始末、10年後には冷暖房のパイプが
つまり、各室空調冷暖房に取り替えなくてはならない羽目に陥った。
産婦人科有床診療所は、分娩・妊娠中絶という自費部門があるため、腹を割
って経済的な問題や他科と真剣に話し合いをした経験に乏しい。有床診療所
協議会、産婦人科医会においても、将来の危機があることを専門家が話しても
関心が薄かったことも否定できない。
平成9年、長男が大学から戻り、産婦人科医院を引き継いでくれることになった
のをきっかけに、現代に適応した診療所にすべく、有床数も10に減らし、外来・
入院もすべて予約制にしたことから、やっと赤字経営から脱却しつつある。
私個人としては、産婦人科医として生き残る手段として得意な専門分野に力を
入れ、付加価値を高めることによって、患者さんが喜びと誇りを持ち、高い信頼性
を得た上で、来院出来るようになれればと思う。
2.一番苦労したこと
従業員・家族の和、人間的な思いやりを強調してきた。大変だったのは、やはり
銀行との間に生じた借金のやりくり、返済には100歳までかかることがわかりそれ
までは死ねないことも確定した。
3.一番うれしかったこと
優秀なスタッフが揃ってくれたこと。自分の関係している研究、仕事が一つにまと
まり形となって現れ始めてきたこと。
4.失敗したこと
衝動買いしてしまった土地とか、ゴルフ会員権など。
5.今の考え
子どもたちに、日本の良き歴史、文化を尊重し、人間的な愛を広め、社会的な規範
を高め、良きことと悪しきことの判断を教えたい。そして死のあることを自覚させたい。
自然発生的な愛国心も必要だろう。人間的な医師の、1人でも多くなることを夢見たい。
6.国の医政に対して思うこと
医師を尊重する社会、患者さんも医師との信頼を高め、病院は病気を治すところで
はなく、安心して子どもを産める国造りを進めてほしい。北欧の福祉社会が話題になる
が、寒いだけの産物のない社会であり、人口も少なく、高い税金を払っている。日本人
が自分の健康とか、福祉に対して高い税金を払うだろうか。介護・医療のみ国家統制
を考えるのは間違いだと思う。
7.日医に対して思うこと
川崎市でも医師会に入会しない開業医が増えている。古い医師会員の間でも「種々
の会費が高い。その上ムダな会合が多い。保険協会だけで十分だ」と退会を申し出る
ケースが増えてきている。医師会の存在を考え直さないと、危機が訪れる。
8.これからの経営に対して
産婦人科医として、女性の専門総合科医としての、いわば女性専科医療部門的な
考えを拡大した病院経営していかなくては、と思っている。
9.医療そのものに対する意見
開業以来、医療の原点は、心身医学と考え、心の問題に取り組んできた。不妊症と
ストレス、催眠無痛分娩、マタニティブルー、性に関わる問題、パニック症状など50年
来の研究テーマとして捉えてきた。そして最近、特別養護老人ホームに関わるように
なり、人間の死を見つめる機会があった。たゆまない、愛情を持っての呼びかけや、
それを気付かせる大切さを痛感するようになった。介護保険との絡みもあり、今後
大きな問題として浮上してくるように思う。
近藤俊朗
2004.10.5