有床診療所の旗のもとで          
    戸塚区 門脇 秀夫

 有床診療所は世界で最も効率のよい日本型医療の典型として発展し
、医療文化の側面を有し、専門的な手軽さで地域では「かかりつけ医」
としてなくてはならない存在です。
ただし有床診療所存続のネックになっているのは、医療法第13条48
時間内の収容時間制限の努力義務があり、有床診療所と行政との間
に見解にづれがあり、一部にトラブルも起きております。
医療提供体制の中で、有床診療所を発展持続するには、法13条の完全
撤廃か、除外規定の拡大が不可欠です。
全国有床診療所連絡協議会(内藤哲夫同全国会長兼横浜市医師会
会長)の度重なる要望が実り、平成14年11月に、日本医師会に有床
診療所に関する検討委員会が発足し、平成14年度4回平成15年度は
10月2日まで4回の委員会が開催され、別に厚生労働省医政局総務課
栄畑課長との過去2回の話し合いもありました。
その中で委員会の有床診療所側委員の目標は、有床診療所の存続
基盤の確立で、そのため医療法13条の撤廃であり、第2に有床診療所
が生き残れるような入院基本料の引き上げであります。
一方平成15年8月2日から2日間和歌山県で第16回全国有床診療所連絡
協議会総会があり、来賓講師として出席された坪井日本医師会会長が
祝辞のなかで、医療提供体制の有床診療所48時間問題について、この
機に一気に解決して行きたいと言及され、さらに平成15年10月12日の
日医臨時代議員会での坪井会長の所信表明のなかで、日本医師会の
悲願ともいうべき事項の医療法第13条患者収容時間期限条項の撤廃と、
有床診療所関連の諸問題につき解決を急ぎたいと言明され、坪井会長の
任期の平成16年3月まで、どのような解決があるか、我々はかたづをのん
で見守っている状況です。
病院は入院、診療所は外来との欧米にならい機能分化を主張する厚生
労働省のかたくなな姿勢を有床診療所の療養病床の如く、第13条の適用
除外を平成10年4月から認めさせた事を突破口として、今後の展開を大い
に期待したい。
 ここで有床診療所協議会の沿革について触れさせて頂きます。
1980年代第一次医療法改正のおり、厚生省某高官が語った「有床診療所の
果たした歴史的役割は終わったのではないか」との発言が、全国の有床診療
所燎原の火の如く危機感を抱き、互いに連携団結してことに当たろうという
気運が全国的に昴り、先進的に行動力のある福岡県が先ず協議会を結成し、
つとに監視を亢めていた内藤哲夫横浜外科医会副会長(現横浜市医師会
会長兼全国有床診療所連絡協議会会長)が、同じく加藤雅光外科医会会長
を説得し、協議会結成の準備として、横浜市各区医師会長、各科医会会長に
協力依頼文を送付したのであった。西九州の実行力に負けない東の横浜の
行動力であった。
だがしかし有床診療所協議会を起き上げる事は、日本医師会に対する分派
行動ではないかとの疑念から医師会内部の空気は冷ややかなものであった。
当時門脇は横浜市産婦人科医会会長を一期だけ在住中であったが、産婦人科
有床診療所が全体の40%を越えるのに、無関心では申し訳ないと、小松英夫
幹事の賛同を得て、ともに発起人の列に加わった。外科では天野会員三浦市
の吉田会員、整形外科東璋会員堀内会員津久井矢吹会員、貴重な内科では
小笹会員、耳鼻科では田中会員、眼科田中会員等その他紙面の関係でお名前
を割愛するが、続々と空気抵抗のあるなか、役員に参加頂いた。
そして昭和61年10月から数次の横浜市有床診療所連絡発起人会を開き、その
間昭和62年3月榊田桂横浜市医師会会長の英断で、加藤、内藤両発起人代表
及び市医師会大田担当理事の3名を福岡市医師会及び福岡有床診療所協議会
訪問を実行頂き、有床診問題に関する情報の交換と今後について話し合われた。
さらに医師会内の誤解を解くため、福岡県協議会清成正智会長や当協議会加藤
雅光会長は、有床診運動キャンペーンを全国的に展開した。そして遂に昭和62年
6月横浜有床診療所協議会創立総会が開かれ、来賓として榊田市医師会会長、
磯野県医師会副会長はじめ県市区郡下医師会関係及び当会員が参加し、出席
者60名、記念講演として内藤専務理事の親戚にあたる中医協一木委員の「地域
医療における有床診療所の位置づけ」と題して記念講演があった。
昭和62年12月には山口県医師会長と加藤、内藤、門脇でなごやかに懇談を行い、
有床診療所に関する意見交換を行った。
福岡ではこの際中央としての横浜での旗上げ創立総会をとの要望が強く、遂に
昭和63年2月6日(土)神奈川県医師会館で、全国有床診療所連絡協議会創立
総会を開催し、発起人代表及び議長として加藤雅光神奈川県有床診療所協議会
会長があたり、創立宣言文採択し、運営方針として日本医師会のもと各医師会
関連団体と、連携し、有床診療所の団体として当会一本で対応を期し、広く参加を
呼びかけるとした。次いでフォーラム88として
イ)「高齢化社会に向かっての医療について」林義郎元厚生大臣
ロ)「有床診療所の地域医療における位置づけ」として寺松尚厚生省大臣官房
審議官が講演された。参加者は22都道県150名に及び、ついで寺松審議官も
参加して懇親会及び二次会が盛大に行われ、宴たけなわに突然スポットが清成
福岡県有床診療所協議会会長や阿部龍夫同副会長等九州からの十数名の一団
に照射され、清成会長の指揮で一糸みだれず整然と黒田節をうたい上げたのは
圧巻であった。ついにここまで茨の道を辿りついたかとの感慨と高揚感がなせる
行為として感動的であった。
この創立総会によって一気に高まりをみせた有診協問題は、同年昭和63年8月
28日(日)第1回全国有床診療所連絡協議会総会を、有床診運動の先進地福岡
で開催以後毎年持ち回りで総会を開く事になり、第2回を滋賀県の大津市で、
第3回は山口県担当で下関市で行われ、以後第11回は横浜市、去年は平成15年
は第16回で和歌山市で行われた。その模様については、第16回全国有床診療所
連絡協議会総会に出席してと題して今井横浜市医師会副会長が横浜市医師会報
2003、9月号に詳細に報告頂き感謝申し上げます。
私の話しは竜頭蛇尾に終わってしまい、有床診療所運動発展の歴史は日本医師会
ともからみ曲折を経て現在まで歩んできたわけでありますが、その間の事情につい
ては、平成12年6月24日茨城県有床診療所協議会設立総会での、内藤哲夫全国
会長の特別講演「これからの有床診療所の役割」について、茨城県医師会報第
563号2000年11月号に掲載されておりますので、ご覧頂きたいと存じます。

追記
 第24回日本医学会総会が平成7年4月7日から名古屋市で開催され、総会シン
ポジウム「小規模入院施設の展望」でシンポジストに選ばれ、出演を楽しみにされ
ていた故初代神奈川県有床診療所協議会加藤雅光会長が、肺癌のため講演目前
で無念の急逝され、改めて加藤先生の包容力のある、傑出した人間像を偲びこの
拙文を捧げます。

《文献》  門脇秀夫 「有床診療所の旗のもとで」
     横浜市医師会報   2004年1月新年号 NO.735 55~57 
2004.7.5